那覇女の意地で耐えた結婚生活②
夫の実家を出て塾を経営し
経済的自立から離婚へ
東北地方の嫁ぎ先では、
夫の親族から、皮肉や嫌味を
ずいぶん言われました。
こんなに頑張っているのに
なぜ報われないんだろう……。
一人悩んでいたましたが、
老舗材木店の後継ぎである夫は
何もしてくれませんでした。
すべては親の言いなりです。
義母が大変な力を持っていて、
私も“お坊ちゃま”には
何もさせられません。
当然、私の言い分など
夫はまったく聞き入れません。
子どもへの思いやりも
感じませんでした。
いつしか夫への信頼を失い、
私は、自分を生きられないという
危機感を持つようになりました。
そして私は、実家を出て
家族4人だけで暮らしたいと
義母に申し出ました。
激しい抵抗に遭いましたが、
同じ市内でなら、と
別居が許されたのです。
夫と子ども2人の新生活が
始めましたが、私は、
「とにかく自立しなければ……」
という思いを強くしました。
そんなある日、新聞に載った
「公文式 指導者募集」という
求人広告が目が止まりました。
これまで自分は何もできないと
思い込んでいましたが、
この広告条件を満たしています。
ダメ元で応募してみると、
審査を通過し、公文式の塾を
開設することになりました。
塾がスタートすると、
徐々に生徒も集まってきました。
どうして私にこんなことが
できるんだろう。
最初は不思議な気持ちでしたが、
ほどなく塾経営の成功事例にも選ばれ、
私は自信を取り戻していきました。
美術品蒐集が趣味だった夫は、
数百万単位の陶器に
手を出すようになりました。
夫の給料はすべて趣味に流れ、
生活費はすべて
私の収入でまかなっていました。
いよいよ決断せざるを得なくなり
義母に皇位って頭を下げました
「沖縄に帰らせてください」
こうして私は、東北での暮らし
約8年間にピリオドを打ちました。
辛いこともありましたが、
振り返れば、様々な経験を
積むことができました。
あの経験で大きく成長できたのは
間違いありません。
なにより、男性に依存しない生き方が
しっかりと身につきました。
ここまで読んでいただき
ありがとうございました!
続きは、次のブログをお楽しみに (^^)/
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