フーチと出合った道のり①
アクティブな方法を求めて
サイババツアーにも参加
瞑想やアーユルヴェーダ、
自己啓発など、その後も
様々なセミナーやセッションを
受け続けましたが、
コレ!というものを
見つけられずにいました。
もっとアクティブに、
ダイレクトに人を救う方法は
ないものだろうか。
もっと急がなければ
多くの人は救えないはずだと
考えていたのです。
平成4年のある日、
不思議なことが起こりました。
車を運転していたら、
「道を開けなさい」という声が
頭に響いたのです。
波動のような声といって
理解いただけるでしょうか。
年輩の男性のような声でした。
私は、「道を開ける」とは
潜在能力を活かして生きる
ことだと気付きました。
ただ漠然と瞑想やヒーリングを
するのではなく、
自分そして相手の潜在能力を
開ことが私の目標なんだと
確信できたのです。
しかし、その方法論までは
辿り着くことができず、
それからまだ数年間は
パラレル·トラベラーを
続けることになるのです。
当時の私は、書店店長を辞めて
小学校の補充教員になりました。
その中で、今度は学校教育の
限界が見えてきたのです。
自分が受けもつクラスの
子どもたちに対しては、
できる限りのことをやった
つもりでしたが、
「もっと私に力があったら」
という思いがいつもありました。
一人ひとりが持っている才能を
開いていくためには、
一方的に教える学校教育では、
不十分だったからです。
子どもはみなトラウマがあります。
それを解放したくても
当時の私にはどうにもできません。
保護者の多くはわが子さえよければ
いいという考えでした。
大人の意識が変わらなければ
子どもは変わりません。
そんな悩みを抱える日々の中、
平成7年、インドのサイババに
会いにいくツアーに参加しました。
ダルシャン(集会)では
広場で何時間も待ちましたが、
こうして世俗を離れ、
自分の修業の道を進むのではなく、
あくまでも人の中に入って
同じ目線でやるんだという
思いを強く持ちました。
平成8年、横浜で開かれた
インド女性アマチのダルシャン、
東京で開かれた、マイケル·スカイ
によるブリージング·セラピー、
温熱療法のセラピーなどにも参加。
セッションを受けるたびに
「私も頑張るぞ」という思いを
強くしましたが、セラピーの方法は
「私が求めているものとは違う」
と感じてしまいます。
違うという答えを得るために
受けるようなものでした。
そのときには、もう瞑想は
必要ないものになっていたのです。
もっと即効性のある
アクティブな方法が必要でした。
このままでは自分が求める
ビジョンに到達できない!
その焦りのような感覚を持ち、
セッションへの参加をやめました。
テレビ、ラジオ、本などの情報を
遮断して自分をクリーンな環境に
置くことにしました。
そして平成9年、ある友人から
フーチを紹介されて、私の運命が
一気に動き出すのです。
ここまで読んでいただき
ありがとうございました!
続きは、次のブログをお楽しみに (^^)/
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